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脳死・臓器提供議論はどこへ行った?

1997年に臓器移植法が出来たこともあり、2000年前後は「脳死」「安楽死」の議論が盛んだった。ブームと言っても良いかもしれないです。

大学に入りたての頃、やはりこれらをテーマにした講義は大人気だった。

真面目な人も、チャラい人も、この授業中だけは脳死・安楽死の是非について真剣に考えていました。

当時は法律が出来たばかりでまとまらなかったのかも知れない。今になっても話が全然進展していない、というか、何も結論が出ていないのに全く話題にならない・・・。と、気になったので書いてみました。

 

脳死状態とはなにか?

非常に難しい問題であり、議論したところで結論は出るのか?という話でもあります。

まずは自分自身の復習も兼ねておさらいを・・・

脳死状態とは
通常「心停止」が人の「死」であったが、医療の発達で脳の機能が停止しても、人工心臓等で心機能が維持されている状態。

通常は脳が死ねば心臓も死ぬが、人工心臓等で脈・呼吸は続けられている、その状態を「脳死」と言う。

しかし「息をしてるのに、死と呼んで良いのか?」という問題が脳死の難しさです。

 

脳死の議論には臓器移植が重要です。

例えば自分の愛する人がまだ息をしてるのに「もう結構です、人工心臓止めてください」なんてことは言えないのではないかと思います・・・。

この医療の発達により新たに誕生した「脳死」と言う状態をどう考えるかにおいて「臓器移植」がポイントです。

臓器移植を必要としている人やその家族にしたら、臓器提供者は神のような存在でしょう。

臓器提供をする人も「自分の体の一部が誰か一人の命を救うのだ」という、美しい心で意思表示をしていると思います。

「脳死」は未だ完全に解明されていなく、お医者さんも脳が正常に戻る可能性は0とは断言できないらしいです。

確実に戻らないのであれば提供したいけど、自分も家族も可能性が0ではないのであれば、賭けてみたい、と思う人は多いでしょう。

 

個人的に言いたい事

臓器提供は本人の意思に委ねられるものなので

本人が臓器提供の意思表示をしている

その家族もそれを了承する。

で良いのでは?と思うかも知れません。

でも一つ個人的に言いたいのは、

こんな大事なもの保険証の裏にアンケート感覚で書くようなものじゃない!!

と思うんです!!

実際に、一番初めに臓器提供意思表示カードというものが手元にきたとき(中学生だったかな?)、何気なく、自分の臓器が誰かの命を救うのなら、と単純に考えて提供しますに○をした記憶があります。

 

宗教や倫理としての臓器提供

宗教的な理由で、輸血がダメな人いますよね。

過去に、お医者さんがそれを承知の上で輸血をしちゃって、(もちろん、目の前の命を救うためにです)そのお医者さんが家族に訴えられて、裁判で負けたということがありました。

輸血も他人の血を体内に入れるわけですが、臓器は他人のものを頂き、自身の体を動かしてくれるわけです。他人に生かされているわけです。

人に臓器を提供することは倫理的に、宗教的に、どうなのでしょう???

私個人的には、提供したい、けど単純に良いことなのかわからない。
人的にいけないことで、あの世で地獄行きになるんじゃないか?と恐怖で出来ません。

そもそも地獄ってあるのか?死んで見ないと誰にもわかりません!

あと、自分の家族ならどう考えるか、も重要になってきますよね。

 

グリーフケアと家族のこと

提供する臓器の中に「眼球」があります。中学生の私も「眼球」だけは外した記憶があります。
グリーフケア・グリーフワークという言葉があります。

簡単に言うと、最期のお別れの時に自分の顔・体が大きく損傷していたら遺族にショックを与えます。そのケアです。

復元死化粧という、化粧するだけでなく、お顔やお身体の修復をする専門の有資格者もおります。
さらに、日本では未だ普及していませんがエンバーミングというオペに近いような処置もあります。
事故などで亡くなった場合に、復元してくれるのですね。

やはり、最期のお別れはキレイなお顔・体でいて欲しいですよね。

自分のことを悲しんでくれる人がいたとき、醜い自分を見せられますか?

以上のことを考えた結果、今の私の保険証の裏は未記入です・・・。

これを見てくれた方は、どうかもう一度考えて欲しいなと思います。

自分自身ではなく、残された人がどう思うか、どう感じさせてしまうか、という問題でもありますので、家族と話し合う機会があれば良いですね。